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羽生結弦 特集

プロフィール

生年月日

1994年12月7日

出身地

宮城県仙台市泉区

所属 ※2016年9月現在

全日本空輸(ANA)

主な戦績

2014年ソチオリンピック男子シングル優勝
世界選手権優勝(2014,2017)
ISUグランプリファイナル4連覇(2013,2014,2015,2016年)
全日本選手権4連覇(2012,2013,2014,2015年)

ジュニア時代からの片鱗

11歳のころから次世代の天才スケーターとして地元仙台のテレビで特集を組まれるなど、有望視されていた「ゆづ」こと羽生結弦選手。本人もそのころすでに、「ソチオリンピックで金メダルを獲る」ことが目標と発言しており、ノービス世代であった中学1年生のときに、19歳まで参加資格がある全日本ジュニア選手権で3位となり、ノービスの選手として史上初めてジュニアの表彰台に上がった。
2008-2009シーズンからジュニアにあがり、ジュニアGPシリーズに参戦、全日本ジュニアでは優勝、シニアの全日本選手権でも最年少で8位に。世界ジュニア選手権でも大会最年少ながら12位となった。
2009-2010シーズンには、ジュニアGPシリーズで2回優勝、ジュニアGPファイナルでも14歳と史上最年少で優勝、全日本選手権では6位に入り、世界ジュニア選手権では日本人選手としてははじめて中学生で優勝を果たした。

シニア1年目からプチブレイク

シニアデビューとなった2010-2011シーズンは、NHK杯のフリースケーティングで自身初となる4回転トゥループを成功させ4位。全日本選手権でも4位に入り、四大陸選手権代表に選ばれる。その四大陸選手権では、ショート、フリーともに自己ベストを更新し、初出場で2位の銀メダル獲得。同大会史上最年少のメダリストとなった。
3月11日の震災発生時には仙台市内のリンクで練習していた羽生選手。自宅も被災したため避難所で4日間を過ごし、大勢の被災者がいる中でスケートを続けることに疑問も抱いたというが、復興支援目的のアイスショーへ多数出演して各地を転々としながら練習を続けた。
2011-2012シーズンもグランプリシリーズロシア大会で初優勝を果たし、グランプリファイナルにも出場。全日本選手権では3位となり、はじめて代表に選出された世界選手権では転倒のアクシデントがありながらも3位で銅メダル獲得。技術要素点では当時圧倒的強さを誇っていたパトリック・チャンや高橋大輔らを上回り、この大会最高の点数をマークするなど、シニアでも着実に実績を積み重ねる。

カナダへの拠点移動

2012年4月からキム・ヨナ選手のコーチとして日本でもおなじみだったブライアン・オーサーコーチに師事し、練習拠点をカナダのトロントに移す。
2012-2013シーズンは、グランプリシリーズ前哨戦のフィンランディア杯のフリーで2種類の4回転ジャンプを成功させ優勝。グランプリシリーズアメリカ大会、NHK杯と2戦続けてショートプログラムで歴代最高得点を更新し、グランプリファイナルは2位。そして、年末の全日本選手権で初優勝を果たした。
四大陸選手権は2位となったが、世界選手権では体調不良と左膝の故障の影響からSP9位と出遅れたものの、公式練習で右足首を故障して満身創痍で臨んだFSでは3位となり、総合では日本男子最高の4位に入った。

ソチ五輪シーズン

羽生選手にとって初めてのオリンピックシーズンとなった2013-2014シーズンは、フィンランディア杯で2年連続優勝。グランプリシリーズカナダ大会、フランス大会はいずれも王者パトリック・チャンに及ばず2位。福岡で開催されたグランプリファイナルでは、ショートプログラムの歴代最高得点を更新し、フリーでは自己ベストを大幅に更新して1位。ここで王者を破りグランプリファイナル初優勝を果たした。そして、全日本選手権では2連覇を達成し、文句なしでオリンピック代表に選ばれる。

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金メダル獲得へ

2014年のソチオリンピックでは、新種目の団体でショートプログラムを滑り1位となったが、日本チームの成績は5位に終わる。
続く男子シングルでは、羽生選手の代名詞ともなったショートプログラム「パリの散歩道」で公式大会世界最高得点の100点越えを史上初めて成し遂げる。フリースケーティングでは4回転ジャンプでの転倒やジャンプが認定されないなど、ベストとは言えない演技となったが、ライバルのパトリック・チャンもミスの多い演技となり、男子フィギュアではアジア人初の金メダルを獲得した。
男子フィギュアでは10代の金メダリストは66年ぶり2人目で、オリンピック初出場で金メダルを獲得したのも史上3人目という快挙である。また、平成生まれの日本代表選手が金メダルを獲得したのも冬季・夏季を通して初となった。

止まらない快進撃

ソチオリンピック終了後、3月にさいたま市で開催された世界選手権では、ショート3位、フリー1位で町田樹選手を逆転して総合優勝。フリースケーティングでは自身初の4回転サルコウを成功させ、ほぼパーフェクトな演技を披露した。
2010年に優勝した高橋大輔選手に続いて日本人2人目の世界チャンピオンとなり、1シーズンに「グランプリファイナル」「オリンピック」「世界選手権」の主要3大会をすべて制した。これは、2001-2002シーズンのアレクセイ・ヤグディン選手以来、男女シングル通じて史上2人目の快挙である。

予想外のアクシデント

2014-2015シーズンは、オリンピックチャンピオンとして期待されたが、度重なるアクシデントに見舞われる。初戦を予定していたフィンランディア杯は腰痛のため欠場。中国杯ではフリースケーティング前の6分間練習で閻涵選手と衝突し、頭部と顎にテーピングと包帯を巻いた姿で演技した。演技終了後に顎を7針、頭部を3針縫い、表彰式とエキシビジョンは欠場して帰国した。
精密検査の結果は全治2~3週間と診断され、開催直前まで出場可否を検討されたが、NHK杯には出場し総合4位となったため、ぎりぎりの6位でグランプリファイナルへと進出した。
グランプリファイナルでは、ショートでシーズンベストを叩き出し、フリーでも2種類の4回転ジャンプを着氷、自己ベストを更新して、日本男子初のグランプリファイナル2連覇を達成した。
年末の全日本選手権では3連覇を達成したが、断続的に続いていた腹痛の精密検査を受け、「尿膜管遺残症」と診断され手術を受ける。手術後は2週間の入院と1か月の安静治療が必要とされたが、退院後には練習を再開。その練習中のねん挫もあり、3月の世界選手権は直前まで出場が危ぶまれたが、調整を進め出場した。
ショートで首位に立つものの、フリーの4回転ジャンプをどちらも失敗し、ハビエル・フェルナンデスに続く2位となり、日本人選手初の連覇はならなかった。

世界記録連発

2015-2016シーズンは、フリープログラムで映画「陰陽師」のサウンドトラックを用い、平安時代の狩衣をイメージした衣装で話題となった。
練習拠点であるカナダで開催された初戦のオータムクラシックで優勝し、グランプリシリーズ初戦となったスケートカナダでは、ショートプログラムでジャンプがカウントされないミスもあり出遅れたが、フリーで巻き返し2位。NHK杯では、ショートに4回転ジャンプを2本組み込む構成に急きょ変更したにもかかわらず、ノーミスの演技を披露し、自身の世界最高得点を更新した。フリーでもジャンプはもちろん、演技構成点でも高得点をマークし、史上初の200点越え。トータル得点も322.40点とし、史上初めての300点越えでパトリック・チャンの世界歴代最高得点を大幅に塗り替えた。
さらに、12月にバルセロナで開催されたグランプリファイナルのショートプログラムでは、4回転-3回転のコンビネーションジャンプに9人中8人のジャッジが技のできばえ評価の加点で満点の3点を付けるなど、110.95点をマークし、わずか2週間で自身の記録を塗り替えた。フリースケーティングでもノーミスの演技でNKH杯を超える219.48点を記録し、トータル330.43点で再度世界記録を更新した。
続く全日本選手権では、2位の宇野昌磨に20点近い大差をつけて4連覇を果たしたものの2度のジャンプの転倒もあり、「ひどい演技をしてしまった」と悔しさをあらわにした。
2016年3月にボストンで開催された世界選手権では、ショートで自己ベストに近い演技をするも、フリーで精彩を欠き、前年に続いてハビエル・フェルナンデスに1位の座を譲る結果となった。大会終了後、左足甲の靱帯損傷の治療のため、練習拠点であるトロントに戻り、治療とリハビリに専念することになった。

2017-2018シーズンの予定

2017-2018シーズンは、例年同様カナダで開催されるオータムクラシックからスタートし、グランプリシリーズ第1戦のロステレコム杯、第4戦のNHK杯に出場予定。

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