マージーサイド・ダービー


☆2016年7月25日 WSCスタッフ呟き☆

マージー川の両脇に広がるマージーサイド州のリヴァプールに本拠地を構えるエヴァートンFCとリヴァプールFC。この両チームの対戦はマージーサイド・ダービーと呼ばれイングランドでは最も長い間リーグのトップディビジョンで開催され続けているローカルダービーです。

わずか600mほどの距離に本拠地を持つ両チーム

リヴァプールで最初に設立されたのはエヴァートンFC。エヴァートンとはリヴァプールにある地区名で、1878年に設立され翌年には現在の名前となり、規模が大きくなると1884年にアンフィールドをエヴァートン地区に隣接した場所にホームスタジアムとして建設、アンフィールドを本拠地としたエヴァートンが1888年に世界最古のフットボールリーグにスタート時から参加する。
ところが1892年当時のスタジアムのオーナーでエヴァートンのチェアマンだったホールディング氏とクラブ経営陣がスタジアムの使用料も含めたクラブの運営方針で対立。その結果クラブの経営陣はエヴァートンFCがアンフィールドから去る決断をし、アンフィールドのすぐ隣にあるスタンリーパークを挟んだ直線距離でわずか600mほど離れた場所に新スタジアム、グディソン・パークを建設する。
その決断に異を唱えたホールディング氏はクラブの乗っ取りを画策するも失敗。その結果ホールディング氏はアンフィールドをホームスタジアムとした新クラブの設立を決め、当初はエヴァートンの地区名を使ったチーム名を検討したが、最終的には都市名リヴァプールを使いエヴァートンの青に対して赤をクラブカラーとする全く別のチームリヴァプールFCを設立する。
その結果公園を挟んだわずか600mほどの距離に街を代表する2つのクラブが存在する事になった。

フレンドリー・ダービー

チェアマンホールディング氏とクラブ幹部の対立がきっかけとはいえ全く別のクラブとしてリヴァプールが発足。さらに宗教的な立場や、政治的、地理的、社会的にも明確な境界線があった訳ではない両チームは立ち上げ当初からそれほど対立感情はありませんでした。
その為リヴァプール市民にとってどちらのクラブを応援するかは、宗教的・政治的立場によっても作られておらず、個人の嗜好によって委ねられているというのが現状。兄はエヴァートンサポーターだが弟はリヴァプールサポーターといったように同じ家族の中でも両チームのサポーターが混在している事も珍しくなく、両者は明確な対立を持たずに発展していく。
それを象徴する様に、功労記念試合なども両チームの間で数多く開催されており。またローカルダービーにもかかわらず両クラブのサポーターがスタジアムで隔離が行われいない中で試合が開催されるダービーマッチで、最も盛り上がりを見せるダービーマッチの1つでありながらもフレンドリー・ダービーとも呼ばれていた。
1984年に開催されたリーグカップ決勝はエヴァートン対リヴァプールという組み合わせになったのだが、その際も両チームのサポーターは隔離せずに混在。そしてお互い「マージーサイド!」と歌いあい、共通の敵であるマンチェスターを揶揄するチャントがスタジアム中で歌われていた。

ライバル関係が明確になってきた両チーム

プレミアリーグ設立前はリヴァプールが最多となる18度の優勝、エヴァートンも3番目に多い9回のリーグ優勝を誇るリーグを代表する両チーム。
地域的には近いマンチェスターのマンチェスターユナイテッドが7回の優勝をどちらも上回っていた。
しかし1980年代にリヴァプールの試合に絡んで起きた2度の悲劇的な事件で国際試合からの締め出し処分を受けるとイングランドサッカー界全体が大きく低迷。そしてプレミアリーグが設立されると、純粋な試合に関して同じ地区のチームとしてライバル関係が目立つようになる。
宗教的・政治的アイデンティティによる対決ではないので両チームのサポーター同士が激しくぶつかり合う様な事はあまりありませんが、ピッチでのプレーは激しく激突。イングランドサッカーが持つ激しさの上にさらにライバル関係による激しさも加わった事で、プレミアリーグ発足以降は他の試合よりも多くのレッドカードが提示される試合となっていった。

両チームでの対戦は公式戦ではトップディビジョン所属チームとしてイングランド最多となる226回の対戦が行われリヴァプールの89勝、エヴァートンの66勝、引分けが71とリヴァプールが大きくリードしている。

<ローマ・ダービー

クリック

セビリア・ダービー>

クリック

TOP

MENU