スペインのダービーマッチといえばナショナルダービーとしてレアル・マドリード対バルセロナのエル・クラシコを思い浮かべる方が多いかもしれませんが、ローカルダービーも多数存在。
最も熱く激しいと言われているのがスペイン南部アンダルシア地方のセビリア(セビージャ)を本拠地とするセビージャFCとレアル・ベティスによるセビリアダービー(アンダルシアダービー)。バルセロナ・ダービーやマドリード・ダービーよりもライバル関係をむき出しにして熱く激しく戦うダービーマッチとなっている。
その理由は闘牛やフラメンコの本場という土地柄もあるのかもしれませんが、クラブの成り立ちによるところも大きくなっている。
イギリス人により世界中にサッカーが広められた19世紀後半。スペインでも港町を中心に持ち込まれ、1889年にセビリアと同じアンダルシア地方の港町ウェルバにスペイン最古のクラブレクレアティーボ・ウェルバが創設。そしてその翌年にはアンダルシア最大のセビリアにセビージャFCが設立。公式に活動が始まったのは1905年でその後1908年に行われたレクレアティーボ・ウェルバとの対戦がスペイン初の公式戦となっている。
イギリス人の手により紹介され、市の統治者によって作られたセビージャFCはレアル・マドリードなどでも使われているスペイン語のCF(Club de Fútbol)では無くFC(Fútbol Club)となっているのはその設立にルーツがあります。
セビージャFCに引き続き1907年(公式に認可を受けたのは1909年)にセビージャ市内2番目のクラブとしてセビージャ・バロンピエが設立。バロンピエとはスペイン語でFútbolを指す言葉で、その名前からもセビージャFCとの違いが見て取れる。
セビージャFCが活動を初めた1909年、クラブ内で内部分裂が起こる。当時のセビージャFCでは労働階級出身選手との契約を拒んでいたのだが、その方針に反旗を翻した一派がチームを離脱。離反した役員らによりベティスFCを設立する。その後ベティスFCはセビージャ・バロンピエと合流。さらにスペイン国王アルフォンソ13世の庇護を受け、チーム名が現在のレアル・ベティス・バロンピエとなる。
つまりベティスは労働階級出身者との契約を拒むクラブの方針に反対した幹部がセビージャFCから分裂して作られたクラブ。その為富裕者層のサポーターが多いセビージャFCと、労働者層のサポーターが多いレアル・ベティスという構図が生まれた。
この両チームはセビージャ、ベティス共にプリメーラディビジョンでのタイトルは1度だけと
この社会的な対立の構図はダービーマッチを熱く激しくする最も大きな要素の1つ。それがクラブの成り立ちからハッキリと示されたこの料クラブの対戦は、富裕者層対労働者層の代理戦争ともなりセビリアの街を二分、スペインで最も熱く激しいダービーマッチとなっていった。
2000年に一度降格の憂き目に合いますが翌年に再び昇格。その後はプリメーラで安定して上位の成績を残しリーガ・エスパニョーラの強豪クラブの1つとなったセビージャFC。2005/06シーズン、2006/07シーズンUEFAカップ(現在のヨーロッパリーグ)を連覇。さらに2013/14シーズンから2015/16シーズンまで3連覇を達成し、UEFAカップ/ヨーロッパリーグの最多優勝クラブというヨーロッパを代表するクラブチームにまで上り詰める。
しかし一方でベティスはプリメーラでは残留争いを繰り返し、2000年代以降でも3度の2部降格を経験。セビージャとの差は大きく広がり世界的には名前を聞く事が少なくなっていた。
しかしそんな中でもアイデンティティを別にすることでセビリア市内では引き続き人気を保ちつづけ、セビージャと人気を二分するクラブであり続けている。
両チームのこれまでの対戦成績は過去プリメーラで90回の対戦があり、セビージャの42勝、ベティスの28勝、引分けが20とやはり実績に上回るセビージャがリード。2部時代の対戦やカップ戦、過去1度だけ2013/14シーズンに対戦しているヨーロッパリーグの舞台も含めると、セビージャの58勝、ベティスの37勝、引分けが29となっている。