それぞれ前進のクラブを含めると初対戦は1881年。マンチェスター・ユナイテッド対マンチェスター・シティのマンチェスターダービーはイギリスで最も「危険」といわれたダービーマッチの1つ。
2015/16シーズン終了までで172回のダービーが行われ、マンチェスター・ユナイテッドが70勝、マンチェスター・シティが52勝、引き分けが51。通算成績ではマンチェスター・ユナイテッドが大きく上回っているが、2010/11シーズン以降はマンチェスター・ユナイテッドが6勝、マンチェスター・シティが7勝、引き分けが2とマンチェスター・シティの方が上回っている。
今や両クラブ共イングランドを代表するビッグクラブとしての地位を確実なものにしているが、ほんの十数年前までは日本人にとってマンチェスターといえばマンチェスター・ユナイテッドの事であり、マンチェスター・シティの名が出てくる事は殆ど無く、あるとすればよほどのサッカーマニアかオールドファンだけ。そしてマンチェスターにはマンチェスター・シティというチームがあり、マンチェスター市民に本当に愛されているのはマンチェスター・シティの方なんだという形で、マンチェスター・ユナイテッドの事を語る中で出てくる脇役としての立ち位置でしかなかった。
そうなったのはマンチェスター・ユナイテッドが、1980年代に低迷していったイングランドのサッカー界を改革する形で1992年に作られたプレミアリーグを引っ張り、また同時期に規模を拡大したチャンピオンズリーグでも活躍を見せ、ヨーロッパにイングランド復活を印象づけるビッグクラブとして結果を残していた同時期に、マンチェスター・シティは低迷。徐々に残留争いが定位置となりその後はエレベータークラブに。そしてついに1998/99シーズンにはディヴィジョン2(実質3部リーグ)にまで降格してしまう。
おなじ1998/99シーズンにマンチェスター・ユナイテッドはリーグ優勝、FAカップ優勝に合わせてカンプ・ノウの奇跡を起こしチャンピオンズリーグも制覇。シーズン3冠を達成している。
その為2000年前後の10年弱の期間は両チームの対戦も無く、その為日本人にとっては全く知名度の低いダービーマッチだった。しかしマンチェスター・シティが再びプレミアリーグに戻ってくるとその激しさを目の当たりにするようになり、さらに資金的な後ろ盾も得ることとなったため日本人もマンチェスターダービーの激しさを知ることとなる。
1880年に地元の協会の提唱で立ち上がったチームが発展的に合併しアードウィックFCとなり、1894年に現在の名前に変えたという歴史を持つのがマンチェスター・シティ。現在のエティハド・スタジアムの前に長らく使っていたメインロードは縦長の形になっているマンチェスター市のど真ん中にあり、その成り立ちや地理的にもまさにマンチェスター市を代表するクラブ。
一方、でマンチェスターの工業地帯とリバプール等とを結ぶ鉄道会社の福利厚生として立ち上げられたチームがニュートン・ヒースFCという名のり、その後1902年に現在の名前へと変えたのがマンチェスター・ユナイテッド。世界的にも有名なオールド・トラフォードはマンチェスター市には無く、グレーターオブマンチェスターの中のトラフォード区とサルフォード市の境目にある。
つまり設立当初はマンチェスター市民にとって、そもそもマンチェスター・シティはマンチェスター市の市民クラブに近いもので、マンチェスター・ユナイテッドは街の外れで何処かから来た人も含めた荒くれ者の労働者がプレーするクラブという立ち位置だった。
「マンチェスター市民に本当に愛されているのはマンチェスター・シティの方なんだ」という言葉はこの辺りの成り立ちの事を指している。
同じグレーターオブマンチェスターにあるチームとして当初からそれなりのライバル関係ではあったが、最初にライバル意識がより高まるきっかけの1つとなったのが1892年のイングランド全国リーグ導入。それまでシティが相対的に優位にたっていたにも関わらずちょうどそのタイミングでチームが入れ替わりの時期に当ってしまい、ユナイテッド(ニュートン・ヒースFC)は1部となったもののシティは2部に組み込まれる事に。
FAカップを取ったのも実は1904年のシティが先なのだが、直後に主力選手の殆どがチームから追放となるというトラブルが起こり、その中でも主役級の選手4人がユナイテッドに加入。そしてユナイテッドがFAカップだけでなくリーグ戦、コミュニティ・シールドとその4人が中心となりタイトルを獲得することとなる。
1960年代後半にボビー・チャールトン、デニス・ロー、ジョージ・ベストらを擁しミュンヘンの悲劇から立ち直ったユナイテッドがリーグ優勝を果たすと、1968年にはシティが31年ぶりに念願のリーグ優勝。しかしそのシーズンにナイテッドは劇的な形でチャンピオンズカップに優勝。シティにとってユナイテッドは常に目の上のたんこぶ状態となっていた。
ライバル関係が激化していったのは1970年代。きっかけとなったのは1970年12月3日のマンチェスター・ダービーでユナイテッドのジョージ・ベストが危険なタックルでシティの選手を重度の骨折をさせた事から。
そして決定的になったのはユナイテッドが唯一降格したシーズンである1973/74シーズンの降格を決めるゴールをユナイテッドから追い出されるようにしてシティへと移籍したデニス・ローがヒールシュートで決めた事だった。
この俗に「デニス・ローマッチ」と呼ばれる試合。
この試合はデニス・ローがユナイテッド史上最高のゴールゲッターと呼ばれていながら、故障がちとなり前年フリーで放出された事。しかもそれを本人が知ったのはTVの報道、そしてチームとしても悪童ではあるがサポーターに絶大な人気を誇る選手であったので、何らかの功労試合を予定していたが、それとキャンセルし新しく来た監督によって放出された事。と様々な因縁の末の試合だったので大きな話題に。
しかし当のデニス・ローはこのゴールの後は全く喜ばす、またこの後このゴールについてほとんど何も語っていない。そしてこのゴールを最後にデニス・ローは引退している。
そんなシティが2008年以降しきんの後ろ盾を得るようになるとチーム力が一気に高まり、2011/12シーズンに44年ぶりのリーグ優勝、そして2013/14シーズンにも優勝。
近年はマンチェスター・ダービーも五分五分以上の成績を残すようになる。
これがマンチェスター・シティにとってどれだけ大きな事かはこれまでの歴史を振り返ると想像しやすいかもしれません。
現在ではその意地と意地をかけたぶつかり合いが、プレミアリーグ屈指のビッグクラブの間で行われるという、世界でも大きな注目を集める一戦となっている。